寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)のニ柱の神を祀り、寒川大明神と奉称しています。寒川大明神は相模國を中心に広く関東地方をご開拓になられ、衣食住など人間生活の根源を開発指導され、関東地方文化の生みの親神様として敬仰されてきました。
寒川神社は江戸(東京)から見て南西(坤)の地に鎮座しており、江戸(現在の皇居)の裏鬼門にあたります。また、通常社殿は南向き、もしくは東向きに建てられるのですが、寒川神社は南西を向いています。そのため、古来より関八州の守護神として、また江戸の裏鬼門をお護りする神社として崇敬され、とりわけ八方除・方位除の神様として信仰されてきました。
雄略天皇(四五六~四七九)の御代に奉幣、また神亀四年(七二七)社殿建立と伝える記録があり、少なくとも約千六百年の歴史を有します。